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「唐獅子」Okinawa Times Articles from July to December 2009

*今まで『アメラジアン』と言う表現は戦略的に使用していたが、現在は「沖縄ブラック論」と言う形で問題提起を実践している。(8月 平成24年 沖縄)

◎【唐獅子】池原えり子

第一回:アメラジアン口説

 

 アメラジアンにも物語はある。だから「ぬーやが」と言う人もいるかもしれないが、私がここで最も重要だと思うのは「誰が語るのか」ということだ。語る責任者、語るべき人、語る必要性は何なのか等と質問を連発するとき、私はあるプロセスに留まる。私はこれを「語るプロセス」と称したい。

 私が入念に吟味するのは、そのプロセスの中に存在する空間である。なぜなら、語ることにより物/者が明確になり、「古い」レンズ(先入観)から解放されて新たなレンズを作り出せる要素がその空間の中に潜んでいるのではないかと思うからだ。

 その物語とは、人生の肝(ちむ)を指すのではないか。「語るプロセス」では、身体を裏返して中身を反芻して繰り返し吟味することにより自由と充実感に到達する。ひいては、過去、現在と将来を繋ぐ「道」を示していると私はとらえている。

 復帰前、私はコザに住んでいた。毎日というほどではないが、照屋で、即興演奏みたいなものを一人で演じた。裏庭を土台に紫の大きい風呂敷を頭に巻いて、ウチナーンチュのちゅらかーぎーふーじーして演じるむぬがたいを何時間もかけて創作した。空が薄暗くなるまで、その空想の時間と空間に身と体を浸して最後まで演じ通した。

 アメリカで芸術に惹かれたのは、照屋の演奏がまだ続いていたからでは、と思ったりする。1992年から芸術を制作しているが、演じるときは、照屋の当時の場面が戻ってきたようで肝が踊った。自伝にもとづいて作った作品も、コザでの過去が現在に混合した物語だった。

 「Mixed―Media Performance Art」とは、複数のジャンルを用いて表現する、パフォーマンス芸術である。(かしましさよ!)私の場合は、映像、台詞、写真、音楽などを重ねたり、混ぜたりして、動画のイメージを体に映したり、あるいは背景として照射したり、ステージをあらゆるジャンルで変異させて物語を語る。

 ふと、思う。語り始めたときから沖縄とアメリカの間にさまよう空間と時間を反芻している自分は、コザの物語に潜むママの愛に今、将来に向けて息を吹き込んでいる、と。

          (肩書き)

 
◎【唐獅子】池原えり子

第二回:心のタイムカプセル

記憶は、ちゃんと確かめないとでーじやっさーと思った。 

出会ったのは、六年生のときに石川に転校したとき。 それから中学二年までわったー同級生の人生は一緒だった。その同級生たちと石川の居酒屋で集まり、朝まで盛り上がったのは、2004年の夏、沖縄に里帰りした時である。 約30年の時間の重なりがつくった空間にさまよう記憶について語ってみたい。

 

時間が経つにつれて外が薄暗くなると、話もゆっくりと流れ出す。やがて、話の内容は、濃くなっていく。その空間に酔って、私は当時の思い出を語り始めた。皆から虐められたという、とても切ない思い出を抱えていた、と私はみんなに言い、次に、とても寂しかったとか何とか話を続けようとしたら、そこで誰かがストップを掛けた。「えっ、ぬーいっちょうが? あんたが、やなわらばーだったんだよ」と。沈黙、そして唖然。最初は、睡眠術にかけられたかのように記憶が機能しなかった。でも、次の瞬間、氷が沖縄の真夏の太陽に当たって急スピードで溶けていくかのように記憶が殺到してきた。まさかー、このアタシがそんな事。。。やった。確かに喧嘩を売ったのはこっちだ。やられる前にやるという技を駆使して。当時のように、私はちゃーわらいーした。でも今回は、皆で笑った。 今まで抱えていた 記憶が錯覚だったことに気づき、恥じるどころか笑って踊るしかない。その笑いは、当時と現在の境界が溶けた/解けたパワフルな瞬間だった。 約30年前のあらゆる勘違いが溶けてきて、それが妙に私の心を癒した。

 

外はますます闇に囲まれ、私たちのゆんたくが時間を転々と走らせ、空間をつくっていった。 私は当時、自分がいなくても気にする人がいるとは思ってもみなかった。だから、ヤナワラバー役を楽しむように演じて、悲しさや辛さは、内に閉じ込めて絶対表に出さなかった。  中二のときに、皆にさよならも言わないでアメリカ人の養子になって沖縄を去っていった。そのとき、階段に座って泣いた同級生がいたということを今初めて知った。 過去と現在が融合してできた時間と空間に身が溶けてゆく。それは心のタイムカプセルだった。

 

 

◎【唐獅子】池原えりこ

第7回:矛盾の魅力

 1月、沖縄に里帰りした。いつも会う人は、だいたい決まっている。その一人が大城先生だ。お父さんといえる、私にとって最も大事な人。

 国際福祉事務所に勤めていた大城先生は、昔、私と母の面倒を見てくださった。そこのスタッフの平良さんやチーコ姉ちゃんにもお世話になり、沖縄に里帰りする時には会う事を心がけている。今回の里帰りは、大城先生と一緒に博物館に行き、沖縄の歴史についての展示を見ながら、いろいろな事を考えたり話したりしてゆっくりと時間が過ぎていった。

 博物館の本屋さんで大城先生が本を買ってくださった。それは、大城立裕さんの『沖縄演劇の魅力』で、「戦後の新劇について、私の覚えている事を書いておきたい」という書き出しで始まっている。その本に収められた大城氏のさまざまなエッセーに惹かれ、私はアメリカに帰るとすぐにページをめくって毎朝読書にハマった。沖縄芝居に関心があったので非常に勉強になる。

 なかでも「今日は、不安のなかにある、ある安定感、それをぼくらは、大事にしたいね」という文が最も印象に残った。私が今こだわっている「空間」に似ていることを言っているような感じがしたからだ。その空間はいろいろな矛盾を抱えていると私は感じているが、それは、悪い事ではない。逆にそれが当たり前ではないかと思ったりする。私は、その空間の中に存在する矛盾性に安定感を感じているのだ。そこにあるヘゲモニーが決める白黒に疑問を抱く。「あなたは、メキシコ人」「女性は、こういうすべきだ」「その年になったらそうすべきだ」など「白黒」を決めつける社会が人を襲って自由を奪うと思う時もあるが、私はその固定観念に対して常に抵抗し続けている。しつこいが、その空間は私たちの自由と想像力を生かす可能性を示唆していると思う。

 本書の中でもうひとつ印象に残ったのは、「今話し合わなければならない事は、この沖縄に生まれる物として“沖縄”“われわれ”“本人”“世界”“外国人”“むかし”“いま”“古いもの”“新しいもの”等々を、いかに認識し、表現するからだ」という文だ。このリストの中に、私は「アメラジアン」を含めた。

(カリフォルニア大学バークレー本校博士号大学院生)

 

【唐獅子】池原えりこ

第8回:紳士の帽子

 自分の存在を確保、あるいは確認するかのように米国に心を寄せる人もいるだろうが、私の場合は沖縄、であった。14歳で養子になり沖縄を去った後、約10年後に沖縄に里帰りした。その理由は、沖縄にこの黒人系ウチナーンチュアメラジアンの居場所があるかどうか確かめたかったからである。もしなかったら、私は“米国を自分の国として生きる”と覚悟を決めて帰国した。

 出入国管理場所で書類を見せて、管理者の「ようこそ」の一言で私は日本側に通った。那覇空港。スーツケースを両手に持ちながら待っていた。迎えに来てくれたのが大城先生と私のいとこだった。久しぶりの出会い。先生と夕食をして家に送ってもらったのが夜中の12時過ぎ。家の様子では皆眠っているようだ。玄関を開けて、左の部屋に上がってみたら、今まで横になってまちかんちぃーしていたママが起き上がり「えりこー」、「お母さん」と呼んだ。その瞬間、私たちは必死に抱き合った。横になってゆんたくしていた2人は、いつの間にか眠っていた。

 時間が過ぎていく夜中。パチン!と電気がついた。

 目を開けたら部屋が明るくなっている。びっくりして、立ち上って誰かと目を合わす。するとその人物は、私を両手で包んだ。その姿の正体が明らかになる。「おじい!」とそのまましがみつくように泣いた。おじいも泣いていた。その瞬間であった。当時、私が抱えていた不安定さが安定に変わり、私が求めていた私という人間の存在感をその瞬間、得たように感じた。おじいの愛を受け入れることにより、沖縄を受け入れることになったともいえる。

 翌日、アメリカからのお土産として持ってきた紳士用の帽子をおじいに渡した。おじいはうれしそうにすぐかぶった。すごく似合っていて、紳士に見えた。その姿が今でも忘れられない。その数年後、おじいはこの世を去った。近所のおばさんによると、おじいは私からもらった帽子を最後までかぶっていたそうだ。

 その後もう何年もたっているが、今でもおじいの姿は消えない。おじいが私にくれた愛は、私は孫としてこれからもずっと感じて生きていくことだろう。

(カリフォルニア大学バークレー本校博士号大学院生)

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